かつての大貨物ターミナル、汐留駅 ここは日本の鉄道発祥の地でもありました
しかし合理化による荷物列車の全廃、貨物列車の削減、巨額の国鉄債務返済のために土地を売却して穴埋めするために廃止されることになって
しまいました
廃止前、貨物駅のため普段は奥まで入ることが出来ない汐留駅を一般に開放してくれました
日曜日を利用して汐留駅の最後の姿を写真に撮ってきました
汐留駅荷物列車発車ホームです、まるでヨーロッパの駅のような雰囲気、こんな駅日本には他にありませんね
“山”での仕事を失ってから荷物列車牽引の任についたEF62ですがその活躍期間は短かったです
汐留駅には荷電も来ていました ギョロ目が愛嬌のクモニ83 吊り掛けの音も高らかに東海道線を疾走したのも今は昔
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マニ36、マニ44、マニ50 かつての荷物列車を代表する3形式です
普通客車列車や夜行客車急行などの最後部に必ずついていたこれらの車両ももう無いどころかこれらがついていた客車列車さえブルトレ以外
もう殆どありませんね
右は汐留駅の留地線、高いビルは浜松町の貿易センタービルです、今は草むした空き地の中をゆりかもめが走っています
〜強者どもが夢のあと〜です
ここは日本で最初に鉄道が走った地でもありました、広大な構内の片隅に鉄道発祥の地の記念碑がありました
そこには0キロポストやレール、説明看板などがありましたが現在はどうなってしまったのかわかりません
鉄道発祥の地すらつぶしてしまう国鉄、もうこの頃は一刻の猶予もないほど赤字は切迫していたのですね
汐留駅で撮影した後、フイルムが余ってしまったのでやはり終焉まじかの急行アルプスの最後の姿を撮りに新宿へ向かいました
中央線を代表する急行アルプス、この61年11月改正で夜行一本以外すべてあずさに格上げされて消え去ってしまいました
夜行もあずさと共通になり、165系はついに新宿からも撤退してしまいました
上の写真でも写っていますが、登山客にも愛された名称もいかにも山に向かうのにふさわしい急行列車でしたね
上野口の急行が整理された後、首都圏で最後までがんばっていたのが急行アルプスでした
乗客の選択の余地をなくしなんでも特急にしてしまうやりかたが当時とてもいやでした