昭和62年、この冬休みはどこにも遠出する予定がなかったので、18きっぷを買って一人で近場をあちこち出かけてみようと思い立ち、時刻表を
眺めていました
この頃はちょうどチャレンジ20000キロをやっていたので北関東の国鉄線を乗りつぶすことにしました
高崎に着くと新潟色の各停が止まっていました 国鉄末期にはさまざまな経営努力がなされていましたが列車の塗装も全国画一から 各地で独自色を出そうとしていました |
吾妻線の終点、大前です この駅、今までよく残ってますね このときも乗っていたのはたしか鉄ちゃんばかりだったと記憶しています |
吾妻線を1往復して、今度は高崎から八高線に乗りました ついこの間まで、タブレット、DD51貨物列車、キハ30王国の八高線も今ではずいぶん変わってしまい ましたね 写真は八高線を代表する両者、児玉駅で |
いったん自宅に帰った後、今度は磐越東線に乗りに行きました
平駅につくと401系の初期型、低窓車がいました この電車、先頭は今の近郊型と違って窓が大きくてかぶりつきにもってこいだったと 思います まるで私鉄車両並の視界の良さでした |
僕はディーゼルカーが一番好きですが、なかでもこのキハ58が一番好きですね(特に
非冷房車)近年はめっきり数が減ってとても寂しいです まして原色(国鉄色)を見に行くのは千葉県民にはとっても大変です 磐越東線、小野新町駅にて |