上野駅60・3(その1)


昭和57年11月、東北上越新幹線の開業により上野発着の在来線は大きく衰退してしまい面白みが半減してしまいました

が、まだ大宮までの暫定開業ということで電車急行や一部の特急はまだ健在でした

しかし昭和60年3月、ついに新幹線の上野乗り入れ開業によりかろうじて残っていたそれらの列車たちにも最後のときが訪れようとしていました

全盛を誇った上野駅の終わりを告げる改正でした、その直前の列車たちを撮影しました

 

上野駅の名物、正面改札口の案内板です

各方面別にずらりとぶら下がった案内板は壮観でした

列車がいろんな方面にひっきりなしに出て行くのでこの案内板をスライドさせて時刻を過ぎた

列車の案内板をはずす作業で改札口周辺はかなりあわただしかった記憶があります

 

国鉄急行電車の僚友

共に、特急を補完し走り続けたこの両車もこの60・3改正でその使命の大部分を失うことに

なります、特に交直流電車の457系一族のほうはこの改正で急行仕業全滅となり、以後は

各地のローカルを細々と走り続ける事になりました

 

新幹線大宮暫定開業後、上野までの足として新税の185系が”新幹線リレー号”として上野〜

大宮間を走りました

ヘッドマークは文字だけの、味気ないものでした

185系のこの塗装も今では塗り替えられ、見られなくなってしまいました

 

新幹線の開業後も残った特急あいづ、その他つばさややまばとと共に57・11後も残った

貴重な特急でした

現在はたった1本が磐越西線内のみの運行で愛称も少し変わりました

 

最後の輝き!!急行仕業の457系、相棒の165系がつい近年まで急行として活躍できたのに

比べ、457系はじつに不運な車両でした

しかしどう歴史は変わるかわからないものです、先に急行仕業のなくなってしまった457系です

が165系がいまや定期仕業わずかしかなく風前の灯火なのに比べ457系は今も北陸や南九州

でローカルとはいえ多数が活躍していますね、いったい165系と457系、どっちが幸せだったの

でしょうか?

 

地平ホームに入った165系、なすのだったかな?

165系は東北筋では”なすの”として黒磯までの運行だけでしたので上野口ではやはり上信越の

車両というイメージが強かったですね

上信越の165、9系、東北常磐の457系と、僚友でもありライバル?だったんです(笑)

 

その2へつづく

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