群馬県の桐生市と栃木県の足尾町、間籐を結ぶ足尾線、現在は第三セクターわたらせ渓谷鉄道になっていますが、僕が乗りに行った当時は
まだ国鉄でした、足尾線は有名な足尾銅山の貨物輸送がメインのローカル線でした
鉱毒事件ですっかり有名な足尾町ですが、たしかに足尾線の車窓から見る山々はみんな禿げ山で異様な光景でした
僕が訪れたのは春まだ遠い3月初めで、とても寒かった覚えがあります
足尾線の終点、間籐駅です この間籐駅から先は貨物専用線で、この先に足尾本山という駅がありました 駅付近でぶらぶらしていたら、足尾本山駅から貨物列車がやってきました でも後ろの貨車の中はみんなからっぽでした |
旅客列車の終点、間籐駅は勾配途中にもうけたホーム一本だけの駅で駅前は足尾銅山関係の古い建物以外なにもない(このときは自販機すら
なかった!)駅でした
昔はちゃんと引き込み線があってそれが旅客列車用ホームだったそうです
この写真はもう十年以上前なのですが、この駅も現在は少しは変わったのでしょうか?
足尾駅に戻ると最後の車掌車、ヨ8000が一人ぽつんと休んでいました 車掌車、僕の年代には懐かしい車両です かつて貨物列車の最後部にぶら下がっていたいろいろな車掌車も貨物合理化で廃止されました 夕暮れに通り過ぎる貨物列車の最後部の車掌車の尾灯が哀愁があって好きでした 今は味気ない反射板が付いているだけの寂しい後部になりました
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たむろする足尾線貨物列車、この駅が足尾駅か通洞駅か忘れてしまっていたのですが、 EF634さま、おやPさまが教えてくださり足尾駅であることがわかりました どうもありがとうございました そういえば後ろに連結されている無蓋車って最近見ませんね〜 今でもまだ走っているのでしょうか? |
僕が乗ってきた足尾線のキハ20はもうぼろぼろで車内もすさまじかった記憶があります
なんか国鉄も末期的だな〜、まるでお化け列車だ!なんて思いながら乗ってきました |
足尾線の車窓から
沿線は鉱毒のためこのような木のないはげ山が続きますが景色はなかなかよかったです |
足尾線の帰りに撮った写真です 高崎駅で撮りました 一見、中央本線で撮ったような写真ですが実は右の115系は 中央線からの転属で当時両毛線を走っていました デカ目の直流電車の代表が二つ並ぶ光景なんて、今だったら垂涎の的ですよね
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高崎線からさらに武蔵野線で自宅に帰ってきました 当時の武蔵野線は101系の天下でした 武蔵野線の101系はトンネルが多いため1000番台という半地下対策が施されたやつ でした、路線もまだ府中本町〜西船橋までしか無かった頃です 昔は6両で30分に一本でもかなり空いていましたが、現在は8両、10分おきでもギュウ ギュウです 沿線の景色ものどかな田園風景から住宅地に変貌しました |