583系・・・力尽きるまで


湘南電車80系にはじまる電車の長距離運用化は151系、153系などの新性能電車の完成により一段と進展することになりました

当時まだ国鉄が「陸の王者」だった頃、今までの客車、機関車などに加えて、これら急造する電車を収容するための車両基地の増強が大きな

負担となってきていました

そこで昼は昼行列車として走り、夜間は寝台車として運用するという発想の電車の計画が持ち上がりました

そうすれば車両基地も少なくてすみ、また車両の運用効率も高められるということで様々な検討の結果、昼夜兼行、しかも電車寝台という世界初

の試みの581系が昭和42年10月に登場!その後、43年9月以降製造車から電動車が交流50ヘルツ、60ヘルツ共用の583系になりました

この、世界にも類を見ない車両は最盛期には新幹線連絡の九州方面、北陸方面、東北方面にと昼夜兼行の華々しい活躍!、最初に投入された

列車名にちなみ「月光型」と言われたのは有名です

しかしその後の14系、24系の2段寝台車の登場、クロスシートであるために特急としての設備の見劣り、また国鉄の旅客輸送量の激減も重なり、

昼夜兼行という特殊な作りゆえ時代に合わなくなっていった583系は関西からの撤退と近郊型への改造、廃車によりその後縮小の一途をたどり

ました

たしかに車内は寝台車としては頭上が狭く着替えも難しい、昼行特急に使用するのにもクロスシートであるゆえ他の特急車両と比べて見劣りがする

等、欠点も多数あります

しかしあの塗装、スタイル、寝台昼行両方を満足させるために考えられた苦心の車内設備などは大変魅力的であり、かっこいい!!クロスシートの

車内だって空いているぶんにはゆったりしていてなかなか快適です

圧倒的な人気を誇った583系、ご多分に漏れず私も大好きで昼夜共にわざわざ選んでよく乗りました

そこで写真もたくさん撮ったので583系の形式写真を載せてみようと思います

 

583.1.jpg (19436 バイト) 僕は関西の583系は訪れることが出来なかったので東北、それも末期まで活躍していた

はつかり、はくつる、ゆうづるの写真がほとんどです

この写真はサシ581が外された直後のはつかり12両編成です

 

583.2.jpg (17148 バイト) 583系の先頭車、クハネ583です

581系の場合はクハネ581で、前扉と乗務員扉の間に機器室があるのが外観上の大きな

違いです

クハネ583では機器を床下などに移設し、機器室を廃止して扉を前に寄せ、客室になりまし

 

583.3.jpg (15263 バイト) サハネ581です

12(3)両の583系全盛の編成には必需品でしたが現在は東日本在籍車は9両に減らされて

いるので組み込まれていないようです

現在、青森にはわずかに2両の予備車が残っているだけだそうです

 

583.4.jpg (16388 バイト) モハネ582です

屋根上には2つのパンタと交直切替器など、床下には主変圧器などを満載した車両です

この車両のパンタ部の屋根は低屋根となっておりその下の寝台は「パン下」として有名な2段寝台

になっています(頭上がかなり広いです)

 

583.5.jpg (15721 バイト) モハネ582とユニットを組むモハネ583

この車両に主電動機が搭載されています

583系特有の側面の小さな窓は中段、上段寝台用ののぞき窓です

しかしこの窓、上段など床すれすれにあって外を見ることは非常にきついものでした

 

583.6.jpg (15300 バイト) 583系唯一の座席専用車、サロ581です

天井高さを他の形式と合わせているので車内は非常に高く、開放感がありました

特急型グリーン車なので寝台とたいして変わらない値段を取られるので夜行の時はいつも

利用者は近距離以外は少なかったですね

 

583.7.jpg (15870 バイト) 食堂車サシ581、最後まで営業していたのは雷鳥などの北陸特急でした

東北特急にも営業休止後も永らく連結されていましたがそれはこの車両が予備電源とブレーキ用

圧縮空気を得るのに必要な車両だからでした

昭和60年頃まで連結されていたと思います

 

583.8.jpg (11495 バイト) 583系の寝台時の車内の様子

いわゆる「プルマン式」と呼ばれる、中央に通路を配置し、両側が寝台のタイプです

寝台は3段で、下段は客車A寝台なみの幅を誇りました(頭上は窮屈ですが)

それに比べて中、上段はきつかった!頭上の狭さもさることながら梯子からベッドに潜り込むのにテクニック?

が必要でした

583系寝台に乗るなら絶対下段です!

 

583.9.jpg (16553 バイト) 583.10.jpg (14949 バイト)

昼間の様子

上の寝台の車内がこのような座席になるなんてやっぱびっくりですね、よく考えたものです

当時の国鉄設計陣の苦労の跡がうかがえるような、車内はほとんど無駄なスペースのない、よく考えられた内装でした

ちなみに天井が奥の方は低くなっているのがおわかりになるでしょうか?あの下が例の「パン下」で、あの部分のみ2段寝台でした

なおこの部分は一般の人にもわりかし有名で、キップをとるのはやや難しかったようです

右写真はサロ581の車内です

ごらんのように天井が凄く高くて開放感満点の車内でした、座席専用車ですが屋根を低くせず、他の車両と同じにしたので583系の編成美を損なわ

ずにすみました

サシ581の車内は残念ながら撮り損ねました、営業休止中の車内で景色を眺めたりしていたのですが・・・もう全車廃車なだけに残念です

 

583.11.jpg (11911 バイト) 583.12.jpg (10751 バイト)

583系好きがこうじて、トイレまで撮ってしまいました(笑)

ちょうど誰も乗っていなかったので・・・

トイレはサシを除く各車2つづつ、ついていましたがこのように洋式と和式の2種

類がありました

583系などの東北特急にはこのトイレ付近に青函連絡船乗船名簿の小さな紙

がぶら下がっていました

いかにも北海道連絡の使命を背負った列車という感じでした

 

 

全国各地を休みなく走り続けてきた583系もいよいよ風前の灯火になってきたようです

現在、定期列車は大阪〜新潟間の急行きたぐに1往復のみ!あとは東日本に波動用、臨時はくつる用でオリジナル塗装を保った仲間がわずかに

在籍しているだけです

青函連絡船、キハ82北斗なき今、かつての「北海道連絡」最後の名残の583系はくつる、しかしそれも終焉が近いようです

思うに583系がこれほど人気があるのは塗装、スタイル、車内設備などの特異性もさることながら昼夜休みなく走り続け、国鉄がまだ陸の主役だっ

た時代の輸送力を支えてきたというのもあるのではないでしょうか?その走行距離は最盛期には平均で1日/1000q、新幹線にも匹敵する走行

距離だったそうです

最後の時は遠い先ではないでしょうが少しでも長く走り続けて欲しいです・・ガンバレ583系、力尽きるまで!!

 

おわり

メニューへ戻る

表紙へ戻る

inserted by FC2 system