京浜急行20年前(その1)


子供の頃は私鉄よりも国鉄の長距離特急、夜行列車にあこがれるのが大勢です、ご多分に漏れず自分もそうでしたがやはり鉄道好きな身には

私鉄でも身近にあれば興味を示すのは普通ではないでしょうか

ということで、自宅最寄りを走っていた東武鉄道には国鉄と同じくらい興味を示していましたがもう一つ、京浜急行も好きな鉄道会社でした

仲のよい親戚が横須賀市の久里浜に住んでいた関係で、横須賀線よりも速く安い京浜急行は親戚の家に遊びに行くのに真っ先に選択する足

でした、また古くから関東私鉄では珍しい特別料金なしクロスシート車両を運行していたこともあり東武鉄道と同じくらい好きな私鉄でした

近年は仕事中にたまに乗るくらいになってしまいましたが、ちょっと前の京浜急行の姿をご覧ください、また相互乗り入れしていた都営、京成の

写真もありますのでアップしました

 

ちょっとピンボケですが以前の京急を代表する形式1000系です

いかにも私鉄電車らしい均整の取れたスタイルは、関東私鉄車両の名車の一つに上げら

れるでしょう!

一つ目前照灯、角目尾灯、片開き3ドアは快特用2000系の登場まで、長らく京浜急行車

両のデザインの要でした

写真はマリンパーク号のHMをつけた快特三崎口行き

 

快特用に製造された2000系、デビューしたての頃

それまでの京急に受け継がれてきたデザインを変えた車両でした、2ドア両開きで車両の

中心を境に集団お見合い式という珍しい座席配置でした

現在は快特用の新型車両の登場で、3ドアロングシート化されました、また塗装も窓周りが

白い塗り別けから他の車両と同じ白帯へ変更されました

 

京浜蒲田から出ている枝線、空港線のかつての終点の旧、羽田空港駅

かつての空港線は”ほんとの空港線”となった今からは想像も出来ないほどのどかな雰囲

気でした、車両は3連で本線直通などもなく地元の人々を運ぶだけの路線でした

終点の羽田空港駅も空港とは名ばかりで、空港のはるか前の川の手前で終わっていて、

周囲はただの住宅地で”空港の名につられてやってくるとひどい目にあう駅”で有名でした

 

かつての空港線の主、400系

吊り掛け駆動の車両で、3連で蒲田と羽田空港を行ったりきたりしていました

この400系という車両は正面が湘南顔のものと、3枚窓で屋根が茶色くていかにも旧型車

然としたタイプがありました、ちょうど国鉄80系の初期型と湘南顔の関係と似ています

空港線は、この頃は湘南顔のタイプしかいませんでした

 

逗子線のかつての終点だった逗子海岸駅、当時は京浜逗子−逗子海岸となっていましたが、昭和60年に二つの駅の間に新逗子駅を設置し

京浜逗子、逗子海岸駅は廃止されました

統合廃止となった理由は、ホーム有効長が6両までしかなく、右上の写真の通りホーム終りにすぐに踏切がありこれ以上のホーム延長が出来な

かったのが主な要因と言われています、写真は冬だったため人影もまばらでしたが夏季には海水浴客で賑わったそうです、通常は2番線は使わ

れていなかったようで、レールは錆が浮いていました

乗ってきた車両は都営浅草線の5000系です、当時は川崎までの乗り入れがほとんどでしたが本数は少ないながらはるばるここまで乗り入れ

て来る運用もありました

 

その2へつづく

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