夜行一人旅(その1)


今まで夜行列車には何度か乗ったことはあったものの、親と一緒でありあまり自由な行動もとれず乗りたい列車に乗ることも出来ませんでした

まだ中学生だったので当然と言えば当然ですがこの年の冬、ついに一人で夜行に乗り岩手の田舎へ行く許可がでました!

当時私は中学2年生、友達の間でも一人で夜行に乗り遠出をするような人はまだ少数派でした、少ない小遣いで時刻表を買い、どの列車に乗っ

て田舎へ行こうか悩みました、当時は東北新幹線が出来たとはいえまだ夜行列車は多数走っていたのでいろいろ選択肢があった、今思うといい

時代でした、思案の挙句に決めたのは客車で一番好きだった20系を使用していた急行天の川、寝台料金で貯めていたお年玉はすっ飛びました

夜行に乗る旅なのに、当日は始発列車で家を出ました(笑)じっとしていられなかったので・・・

 

天の川に乗るまで12時間以上!その間東京駅や上野駅で駅撮りして時間を潰しました

20系時代の急行銀河、天の川と双璧をなす20系寝台急行、ひときわ大きなテールマークが

優雅で美しかった!当時急行列車で絵入りのマークを付けていたのはこの銀河だけだった

と思います、同じ天体の名を冠し夜行急行でもエース的存在だった天の川は”急行”の文字

だけでちょっと寂しかったです

 

はやぶさを引いてきたEF65-1000、日本一の長距離列車として君臨していた時代

食堂車、A個室オロネ25、西鹿児島行・・・当時は夢のブルートレインでした

あれから18年、当時の面影もなく編成半減でも空気を運ぶ今日の寝台特急はやぶさ

盛者必衰は世のならいとはいえ、近年はあまりに寂しい状況です

 

上野駅地平ホーム

奥羽本線の特急つばさは、東北新幹線開業後も乗り換えなしで行ける便利さから何本か上野

直通で残されました、同様の理由でやまばとや会津若松行きのあいづなども残されました

速く着けても乗り換える手間を嫌がる人多いんですよね、東北は出稼ぎなんかで来ている人

が多かったから、大きな荷物を持って歩くよりもふるさとへ一本で着ける便利さを希望する人

が特に多かったです

 

EF65のデカパン(1000番台初期型)牽引のブルトレあけぼの

あけぼのは夜行の中でも人気が高く、本数も3往復を誇る奥羽本線の代表格の列車でした

また、機関車の付け替えが多かったことでも有名で、この時代にはEF65-1000〜ED75〜EF71&ED78重連〜

ED75-700とじつに多くの機関車の力を借りて青森まで走っていました

奥羽本線を代表するブルトレも、現在は奥羽本線の標準軌化にともない上越、羽越線経由の青森行きになり

本数も1本のみと、当時とはがらっと変わり機関車もEF81のみとなりましたが貴重な上野発の夜行列車として

現在も健在です

 

信越本線の名優、白山とあさま

白山は当時貴重になりつつあった食堂車がまだ連結されていました

白山も乗り換えなしで北陸へ行ける事から非常に乗車率の高い特急でした、食堂車がはずさ

れた後も碓氷峠が廃止される近年まで走っていたのは知っての通りです、いくつもの峠を超

えて日本海に出、はるばる金沢まで〜一度完乗してみたい特急でした

 

つばさと共に新幹線開業後も残された特急やまばと

山形行きの特急はやまばとと命名されましたがつばさの影に隠れていまいち地味な特急でし

た、60年3月の新幹線上野乗り入れ改正で、他の多くの急行と共に廃止されました

 

水郡線乗り入れの奥久慈を併結した急行ときわ、最後の上野乗り入れ気動車列車でした

急行ときわには何本か気動車列車があり、水郡線直通の奥久慈を併結したものやその間合

いで運行されるときわは気動車でした、今E231系が疾走する常磐線を、つい20年ほど前まで

はキハ58が爆走していましたがさらに昭和57年までは仙台行きの旧型客車列車がドアを開

けっ放しにして走っていたとは、現在では想像もできません!

でも、そういう時代遅れな国鉄だからこそ趣味的に面白く、魅力を感じていました(笑)

 

まる1日時間があるので、新宿駅にも足を伸ばしてみました

クモニ83低屋根を併結した中央本線普通列車、荷電の低屋根はあまり好きではありません

でした、新宿駅ホームはこの当時と現在でもそれほど変化していないのではないでしょうか

埼京線ホームが増えたくらいでは?おそらくこの写真も、115系と荷電が写っていなけれ

ば現在と変わらない写真が撮れていたような感じです

 

その2へつづく

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