白糠線(その1)


膨大な赤字で瀕死の状態である国鉄を再建するため、特にひどい赤字ローカル線を特定地方交通線として選別し廃止する方針が出されて以後

先陣を切って廃止されたのが白糠線で昭和58年10月に廃線になりました、全線開通したのが昭和48年、それから11年という短命な路線でした

全線が白糠町内を走り短いローカル線でしたが1日わずか3本、沿線人口の希薄さ、何もない北進駅などその知名度は全国に知れ渡っていました

その白糠線が廃止されて約20年、今どうなっているのかレンタカーで沿線をまわってみました

 

白糠線の始発だった白糠駅、海辺の小さな町といったたたずまいでした

写真の気動車が止まっているホームが白糠線が発着していたホームで奥側にしばらく

走ったところで根室本線と分岐していました

 

白糠駅横のバスターミナルの一角は白糠線記念館となっていて在りし日の白糠線の

備品が並べられています、ドア上には白糠線全駅の駅名板が並べられていました

こういった記念館は各地の廃止路線沿線で見られますがここはなかなか充実した資料

がそろっていました、白糠に来たらここを訪問することをお勧めします

 

根室本線と分岐してすぐのところ

町中心部から近いところは遊歩道として整備されていましたが砂利道で家のある通りから

離れているため利用者もほとんどいなそうな気配でした

 

白糠の次、上白糠駅があったと思われる場所、奥側が白糠方面

草生しているところがホームと線路で右の砂利の広場が駅前跡と思われますがそれらし

い遺構などはなにも見当たりませんでした

近くには牧場の人の民家が数軒ある程度です

 

 

国道392号と並行する白糠線跡

上白糠を出てしばらくすると平野が少なくなり山が寄ってきます、もうこのあたりまで来ると

白糠町市街地から完全に抜け出し民家もまったくなくなります

この写真の手前方向を少し行ったところに茶路駅があったのですがその場所はよくわかり

ませんでした、ただ茶路の集落は健在で大体の見当はつきます

 

 

牧草地の中を進む廃線跡

小高い築堤で通り抜けていますが所々切り崩されています

この辺あたりでは白糠線は道路と平行して走っていた場所が多いのでよく見ると小さな

コンクリ橋をいたるところで見ることが出来ます

 

茶路と縫別の中間付近にある鍛高トンネル、国道と線路跡が交差しているのですぐに

わかります、なんとこのトンネル、柵もなにもなくただほかんとあいているだけですのでくぐろ

うと思えば入れます、ただ周囲は民家もなく非常に不気味なところで、並行するのが国道

とはいえ、車通りもほとんどありませんでした

 

縫別駅跡も集落はあったのですがよくわかりませんでした

縫別集落をすぎてしばらくすると立派な鉄橋を俯瞰できる道路橋があります、ここは国道

392号からちょっとわき道に入ったところにあります

白糠線は手前方向にそのまま進んでいたはずですが今は橋のある道路の築堤によって

埋められています

 

その後も国道からさまざまな橋梁跡を見ることが出来ます

この橋梁は橋げた自体は残っているものの先の築堤部分がそっくりなくなっています

もしかしたら下を流れる茶路川の氾濫などで削られてしまったのかもしれません

 

 

その2へつづく

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