美幸線


美幸線、僕らの世代の鉄には有名な路線でしたね、赤字日本一のローカル線として・・・

名前の通り、美深から北見枝幸を結ぶ予定で作られた路線で、まず仁字布まで営業を開始しましたが、その営業成績は燦々たるもので日本一

の赤字ローカル線として皮肉にも有名になってしまいました、当然廃止論が出てきたのですが地元、特に町長が先頭に立って廃止反対運動を

展開しました、あの美深町長さんは今どうしているのでしょう?

美幸線を廃止から守るために懸命に活動して、日本一の赤字を逆手にとってそれを売りにして乗客誘致活動もしていました

たしか東京にもキャンペーンに来たことがあったと思います、しかし、その甲斐もなくついに美幸線は昭和60年9月に廃止されてしまいました

廃線から15年以上を経て今はどうなっているのでしょうか?

 

hkd26.jpg (23424 バイト) 美深から美幸線の跡を探しまいたがいっこうに見つかりません、事前の調査でこの辺渓(ぺんけと

読む)あたりから築堤が残っているとの話だったので調べてみると雑草の中に朽ち果てたバス停が

ありました、よく見ると辺渓と書いてあります、辺渓という駅があったのでこの裏手がそうらしかった

のですが草木がものすごくて確認できませんでした

これは美幸線代行バスのバス停のようですがバスですら採算がとれず民間バスは撤退したとの事、

このバス停も使われていないようで、今は美深町営バスによりかろうじて運行されているとのことです

バスですら採算がとれないほどの過疎地なんです、この辺は!

 

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辺渓をすぎ、美深市街地を抜けるともう完全な無人地帯です、付近は道道と線路跡以外、人口建造物はまったくありません、美幸線も終点

仁字布まで駅はありませんでした、しばらくするとちらっ、ちらっ、と線路跡が見えるようになってきました

鉄橋などは新しい路線だっただけあってまだ充分使えそうです、道路と平行しているところで車を降り、線路跡に出てみるとそこにはレールが

残っているではありませんか!草に埋もれながらもきちっと残っています、廃線を象徴する光景がありました

 

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終点仁字布に着きました

レールが残っている意味がここに来てわかりました、線路跡を利用してトロッコを走らせているそうです、この日はやっていませんでしたが・・・

駅舎などはなにもないですがホームがそっくり残っていてトロッコ発着用に使われていました

片隅には「美幸線記念碑」が建つ、周囲にはわずか数軒の民家があるだけの寂しい集落でした

途中は完全な無人地帯を走り終点がこれでは美幸線はどうやっても廃線は免れなかったでしょうね、よく鉄道を引いたものです

でも一度でいいから乗りたかったです・・・美幸線

 

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トロッコの待合室として、なぜかサハネ581が1両だけぽつんとありました、荒れ果てていますがガラスはまだ無事で車内はきれいです

駅名板は現役当時のもののようです、寝台電車として華々しく活躍した583系がここ、北海道の美幸線の終点で終わりを迎える・・・

なんか数奇な運命といった感じでしょうか?この先、レールは北見枝幸方向へしばらく続いた後、途切れています

この先、未成区間があるそうですが時間が無くて行けませんでした、情報では未成区間の方が状況はいいようです

 

おわり

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